2017年05月03日

優先順位 祈祷  Tテモテ2:1〜8

人生の優先順位を守ることは大切です。私たちは神の恵みを悟り、神のみことばである聖書の教えを吟味して、人生の優先順位を守って歩む人になることを願います。

   人生の優先順位 祈祷
 聖書は「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」と語ります(1)。ここで「まず初めに」と言うことばは、「時間的優先」よりは、「大切さの優先」を強調することばだと思われます。
 私たちは聖書の色々な箇所から「祈祷の大切さ」を強調して教えているみことばに出会います。使徒たちは「私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします」と語ります(6:4)。このみことばをよく吟味してみると、使徒たちは救済することより「祈りとみことばの奉仕」をもっと大切にしていることがわかります。さらに「祈ること」を「みことばの奉仕」より前面に出して語るのを見ることが出来ます。
 パウロは「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」と語ります(エペソ6:18)。パウロはこのように目を覚まして絶えず祈ることを大切にして、強調します。
 
イエス様は祈らないと試みに落ちることを認めて、弟子たちに「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです」と語ります(マタイ26:41)。祈りはすべてを成功させるカギになります。私たちは祈ることの大切さを悟り、人性の優先順位の第一番に置いて、祈りに励み、正しく祈ることに力を注ぎたいのです。

    私たちは祈祷についての誤解を正す必要があります。
祈祷について考えるときに、私たちの中には神が祈りについて思うように高く評価しない間違えがあるのではないでしょうか。祈祷についての誤解は何ですか。4つの誤解があると思います。

 1)祈りは大衆の前でするのではありません。
2)祈りは特別な時と場所でするのではありません。
3)祈りは行動に代わるものではありません。
4)祈りは最後の非常手段でも応急手段でもありません。

    祈りについての神の命令
 祈ることを命じる神は祈ることについても詳しく教えてくださいます(Tテモテ2:1〜4,8)。

  切に祈る(願う)のが必要です。
 切に祈ることは必要と関係があることで、祈りは必要、弱さを感じる時に始まります。ですから、祈りは必要を感じる時に嘆願することです。必要を神の応答によって満たし、弱さを神の強さに変え、神の働きをするためにふさわしいものにしてくださるように要請をすることです。

  祈ることです。
 祈祷は原語上で見ると一般的祈祷の意味を示します。神に焦点を合わせて捧げる祈りを意味します(マタイ21:22;ルカ6:12;使徒1:14,12:5;ローマ15:30)。祈祷は神に私の情報を提供して神に教えて、私の実情を理解して、私の要求を満たしてくださるようにする行為ではありません。祈りを通して私たちのすべてを主に示して、私たちの環境と自分を主の観点から見るようにすることです。私たちは神が見るように物事を見るようになると、私たちがどんな混乱と悲しみの中にあっても心の中に平安と喜びを味わうことが出来ます。

  とりなしの祈りを捧げます
 これはとても親しいことを意味します。長い友たちが交わす意思疎通を指します。神にとりなしをする時に、私たちは自分の考えと必要を一番親しい友たちと話すように祈ることです。

  感謝をします。
 感謝はありがたい気持ちを表すことです。不満、不平、焦ることなどは感謝することと離れていることです。このような否定的なことを乗り越える秘訣は感謝することが出来ない時にも、神に感謝を捧げることです。感謝は私たちの祈りの中にいつも溢れることにしたいです(ピリピ4:6〜7)。
posted by ginowankim at 16:40| Comment(0) | 説教
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